2008年9月19日金曜日

アサヒ:太田農水相・白須次官辞任 汚染米問題で引責……とても正直な人であっただけに残念

太田農水相が早々と辞めてしまったらしい:
asahi.com:太田農水相・白須次官辞任 汚染米問題で引責 - 政治: "太田農林水産相は19日の閣議後、福田首相に対し、農薬などで汚染された事故米の不正転用問題をめぐる農水省の一連の対応の責任をとって辞任する意向を伝えた。"
これだけ素直にニッポン農業の実態を語る大臣は少なかっただけに、とても残念である。

記憶するべきは太田農水相が「事故米は食べても大丈夫」と繰り返し発言してきたこと。秀才エリートの農水次官も同じことを言っていたから、これは事実なんだろう。

だったら、なんで巨額の国民の税金を使って輸入米を市場から隔離する政策を採り続け、外国農産物は危険だとするマスコミ宣伝を大金を費やして(国民の税金で)やって来たのだ! 

輸入米は隔離して、長期保存して、食えないようにしてから国産米に影響が及ばないようなかたちで処分する。でもその処分米を利用して自分が面倒をみている既得権集団が儲けることは黙認する。これが農水省の一貫した政策であった(農水関係の既得権集団はノーソンばかりじゃない、三笠フーズもお仲間だ)。

農水省が予測できなかったことは、自分で長年かけて外国農産物を敵と見なすように育て上げたニッポンの消費者が「食の安全」に過剰に過敏になってしまったことだ。「消費者なんかは適当に煽って外国農産物を食わないようにしておけばいい」と甘く見て自分らノーソン集団の利益のために利用してきた。「飼い犬に手を噛まれたとはこのこと」……そう思っているのではないか。

問題の本質は、コメの異常な高関税にあり、それをWTOに認めて貰うかわりに農水省が喜んで受け入れたミニマムアクセス(MA)米制度にある。農水族はMA米は「国民の税金で」処分してしまえばいいと考えていたが「いくらなんでも食べられるコメを処分するのはモッタイナイでしょう、それで儲けさせてください」という「身内」からの陳情に「良きに計らえ、おいらも助かる」と言ってそれを認めた。これが今回の事件の真相だ。

「外国米の輸入はコメの高関税を認めて貰うかわりの交換条件だから認める、でも輸入したコメは全部腐らせるのだ、費用を払うのは国民だからおいらの知った事じゃない」という農水省の過去一貫した「都市住民搾取政策」が、いよいよ破綻を迎えているのである。

ニッポンのマスコミはそのことをどうして報じないのか。マスコミの記者はイナカ出身者が多いため、自分の家族が損するようなことは書かないためである。

9/19 Today 糸瓜忌、正岡子規没 (1902)

正岡子規の忌日。子規忌,獺祭(だっさい)忌ともいう。
正岡子規 - Wikipedia: "正岡 子規(まさおか しき、慶応3年9月17日(1867年10月14日) - 明治35年(1902年)9月19日)は俳人、歌人である。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めた。"


子規は漱石の友人で俳句の師匠でもあった。脊椎カリエスで床についたまま創作活動を続けた。闘病日記『仰臥慢録』には克明に毎日の食事を記している。量が半端じゃない。生きようとする意欲が食へのこだわりにつながったのだろうが、この異常な食へのこだわりかたはどう見てもグロテスク。尋常ではない。まるで今のテレビの「おいしい〜!」番組を見るようだ。

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最後の句:
糸瓜(へちま)咲て痰のつまりし仏かな


獺(かわうそ)は獲物を集め巣の周りにたくさん並べておく。それを称して「獺祭」という。子規も「言葉」のコレクションが好きだったので自ら「獺祭亭主人」と号した。

2008年9月18日木曜日

映画「男と女」は過ぎ去ったクルマ文化の象徴だったのか!

テレビを見ていたら、往年のフランス映画「男と女」をやっていた。もう何度もテレビで見た記憶がある。昔々のメロドラマなのに、なんであんなに人気があるんだろう?

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お話しはごくつまらないもの。女が死んだ亭主の事をいつまでもウジウジ忘れられないので、幸せを掴めずにいる。男はいろいろ努力して辛抱強く待ち続け、ついに女の心を解き放つ。アホらしい。でもこの男の手管は今でも通用しそうで、それでこんな映画がいまだ人気があるのだろう。最近の映画とか小説は「マンネリ」と「クリッシェ」ばかりでつまらないから、すでに面白いという評価が定着した「古典」をみたり読んだりする方が忙しい人にとって時間の無駄にならないということかも知れない。

その点については、かなり同感。われわれ現代人は、つまらないものを粗製乱造する今どきの「芸術家」とやらを食わせねばならぬ義務はないんだから、面白ければ古いものでも一向に構わないのだ。それでは「文化振興」に繋がらない? これまた一向に平気。昔の天才も、みんな死んでからようやく評価されたものだ。生きてるうちにちやほやされた連中は結局歴史に名を残さなかった。みんなが「ベストセラー」とやらに付和雷同して騒ぎ、今どきの「芸術家」を甘やかすのは、結局芸術のためにならないのである。みんなようやくこれが分かっていたことが、今の出版業界不況の根本原因。

ところでこの映画(「男と女})は、自動車文化を基盤としていると、今頃気がついた。汽車より自分で運転する自動車の方が速いというのがキモ。ホントにこれがキモ。思えばこのテーマは、古来(?)から映画で繰り返し使われてきた。

クルマは西部劇のカウボーイにとっての馬や、黒澤映画にとってのウマと同じで、自由な男の象徴なのである。これさえあれば、しがらみを脱して、何処にでも自分の空間を保持しながら行けて、しかも女子供が乗る汽車より速い。これこそが男のロマン。この映画は男のクルマ(マスタング)なしには成り立たなかった。

最近のニッポンでは、若者のクルマ離れが著しいという。若者が車を買うとしてもファミリータイプのワンボックスカーだとのこと。なんたること! 世も末だな。新幹線などのクルマより手軽に速く移動できる手段が出来たことが原因か。技術の発展が男をダメにする例である。

NHK衛星放送「アジアクロスロード、香港フェニックス時事討論会」……日本人は中国が嫌い?

香港フェニックスの時事討論番組は面白いので出来るだけ見るようにしている。けっこう質が高いのだ。今晩は「日本人は中国が嫌いになったのか?」というテーマ。とても考えさせられた。討論で取りあげられた数字のいくつかご紹介:

数字:
  1. 7月中旬に実施された日中共同世論調査では、日本人の78%が中国を信頼できないと回答。
  2. 3〜4月に世界24カ国で実施された世界世論調査では、在外中国人の8割は「外国人は中国に対して良いイメージを持っている」と回答(つまり、日本だけが特殊なのだ)。
  3. 最近の中国人に対するアンケート。77%の中国人は「日本人は中国を嫌っている」と回答。
  4. 日本における対中好感度世論調査の時系列推移。2004年以降(小泉以来)日中関係は「良好」とする回答がドラスティックに低下。ほぼ半減。

討論会では在日歴数十年の中国人大学教授が「日本人は中国を嫌いだした、これは由々しき事態である」と主張したのに対し、他の識者は「そもそも世論調査などは当てにならない、大げさに騒ぎ立てる方が間違っている」と主張して、おおむねでいえば、中国では危機感の欠如か。

散人は逆に大きな危機感を持っている(ケンカしたら日本が損する相手だから)。同時にこの日本人の中国嫌いは多分にマスコミとか政府によって煽られた面があると見ている。散人の仮説:
  1. 日本人の中国嫌いの風潮は、確実に存在する。特に若い世代に顕著。
  2. これはこの数年特に目立つようになった。経済で負けてしまったという敗北感から来る部分もあるが、多分に政府・マスコミから誘導されているという性格が強い。
  3. 例えば小泉政権。若者の嫌中感を巧みに扇動し、支持率を上げた。数字で示されている。
  4. 最も大きい役割を演じているのは、中国からの農産物輸入急増に危機感を持つ農村関係者。これが日本のマスコミを札ビラで買収し(なにせスポンサーとして強大な影響力を持っているから)、中国食品は危険だ、中国人はカネの亡者で陰険だという洗脳的宣伝を続けた。環境団体は所詮彼らの分身なので中国のおかげでニッポンの環境が危機にさらされていると喚き続けた。
  5. ナイーブなニッポンの若者はコロッと騙された。

政治力を持つ既得権集団は大衆宣伝に長けている。批判的にテレビを見ないと、いいように操られてしまう。老婆心ながら申しあげる。


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9/18 Today 反穀物法協会の結成(1838)……大英帝国の原点

この日を起点に、イギリスは「大英帝国」として発展をはじめる:
9/18 Today 反穀物法協会マンチェスターに結成される(1838)……イギリス資本主義発展の原点: "穀物法(コーン・ロー)とは穀物の輸出入制限に関する一連の法律。ナポレオン戦争後のイギリスで国内の農業保護を目的に輸入穀物の価格を人為的に引き上げた。これは地主・農業資本家に法外な利益をもたらしたが、一般消費者・産業資本家には不利益をもたらした。イギリスの一般消費者・産業資本家の代表は、この日、マンチェスターにて反穀物法協会を結成。地主・農業資本家に対する戦いを開始する。これは全国的に熱狂的な共鳴を呼び、やがて1846年に穀物法は廃止される。産業は活性化され、イギリスは一挙に世界一富裕な強国となって行くのでありました。"

それに比べて我がニッポンでは……

日本ではこういう対立軸がいっこうに表面化しなかった。なぜか。

ひとつには日本の農村の団結力。農民への利益誘導こそが政治であるとのぶれない固い信念のもとに、戦前戦後を通じて一貫性のある政治圧力団体を形成してきたこと。昭和の右からの「改革」の主導者であった陸軍青年将校や「革新官僚」のほとんどが農村出身であった。戦後も戦前の政治体制は実質的に継続され(戦前戦後の連続性は多くの資料で立証されている)おまけにGHQは戦前の「革新官僚」や青年将校たちがやりたくってもやれなかった農地解放までやってくれたから一挙に彼等が目指していた「ノーソンへの利益誘導型改革路線」が進むこととなった。日本の戦後経済発展の成果を主に農村が享受するシステムが出来上がったのであった。

それに対し都市住民(労働組合など)は、くだらない政治イデオロギーに拘泥して資本家こそが敵だと信じ、問題の本質を理解できていなかった。戦う相手を間違えていたのである。いつのまにか経済的弱者(農村)は団結することにより政治的強者となり、もともとの経済的強者だったはずの都市労働者は政治的弱者となり、結果としてついに経済的弱者にまで成り下がる。イギリスに於いて100年以上前に認識されていた「都市対農村」という対立軸が日本では本格的に議論されることもなかった。国民経済面から見たマクロ投資は非効率的な方面に向けられ、日本は一時はいい線までいっていた国際競争力を失ってゆくのであった。
ということ。

「みんな一緒に清く貧しく」というのもいいけれど、「みんな」というのが「ニッポン」だけなので、具合が悪い。


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2008年9月17日水曜日

アサヒ:学校給食用の豚肉産地を偽装容疑 仙台の食肉会社元社長ら逮捕……こどもたちに贅沢をさせすぎではないか?

またかという事件:
asahi.com(朝日新聞社):豚肉産地を偽装容疑 仙台の食肉会社元社長ら3人逮捕 - 社会: "生活環境課と仙台東署の調べでは、石川元社長らは07年3月下旬から6月下旬ごろにかけて、米国産のチルド豚肉を加工してロース切り身約840キロを製造し、仙台市に提出する製造加工証明書の産地欄に「宮城県(登米市)米山町」と虚偽表示。その後7回にわたって、仙台市内の学校給食センターにこの肉を配送し、納入代金約93万円をだまし取った疑い。"

でも、学校給食用は国産豚肉と義務付けられていたとは、知らなかった。

値段は倍ほど違うので散人は輸入豚肉しか買わない。宮城県では子供にそんな贅沢をさせていたとは知らなかった。教育上由々しき問題だ。

こんな余分の費用を、利権団体への利益誘導を目的として地方交付税や国の教育予算でカバーしていたとすれば、大問題。おいらが払う税金を返して欲しいな。

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9/17 Today 黄海海戦 (1894)……新興国を物量で圧倒できなかったのが清国の敗因

黄海海戦 (日清戦争) - Wikipedia: "黄海海戦(こうかいかいせん)は1894年(明治27年)9月17日に大日本帝国海軍連合艦隊と清国北洋艦隊の間で戦われた海戦。鴨緑江海戦とも呼ばれる。初めて近代的な装甲艦が実戦に投入された戦いとしても知られる。この海戦の結果、清国海軍は大きな被害を受けて制海権を失い、清国海軍が日本を脅かす事は二度と無かった。"

「眠れる獅子」と恐れられていた当時の「超大国」清はこれを境として急速に下り坂を転げ落ちて行く。経済力、文化で圧倒的に優位にあった清がどうして貧乏な新興国の日本に敗れたのか。

ごく単純にいえば清が油断して日本との軍事バランスを拮抗させてしまったから。西太后が宮殿を造るために軍事予算を削り建艦競争において日本の追いつきを許してしまったのだ。黄海海戦当時の両国の海軍力は性能を加味すると、ほぼ同能力であった( 岡崎久彦『陸奥宗光とその時代』 )。

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物量がほぼ同じであれば勝負は時の運となるし「まだ沈まぬや定遠は」の歌にあるような勇敢な兵士で構成される日本海軍の方に分があるわけ。

老大国(成熟国)が元気のいい新興国の挑戦を退けるためには物量で相手を圧倒しておくことが必要なのである。経済戦争において追われる立場であった日本が心しておかねばならなかった教訓であった。でもニッポンは国際競争力向上に結びつかない無駄な利益誘導型「バラマキ」を長年続けた。その結果、物量でも新興国中国に圧倒されてしまった。戦後自民党政治の最大の汚点である。

2008年9月16日火曜日

農水省、三笠フーズの流通業者370社を公表:「事故米」は「国民食」だったのである!

株の大暴落ですっかり影が薄くなっている三笠フーズ問題だが、農水省は事故米を流通させた370社名を公表した:
NIKKEI NET(日経ネット):: "三笠フーズから事故米が流通した企業は給食業者や酒造会社、米菓メーカーなど370社に上ることが判明"
あまりにも身近な企業ばかりで驚く。そもそも、この「事故米」とやらを食って死んだ人はいるのだろうか?

農水省の意図とは裏腹に、これだけ広範囲に食されていたと言うことで、もはや「事故米」とは「国民食」だったということを、改めて実感させられた。健康被害も報告されていない。国内農家を保護するだけのために外国米に言いがかりを付けてなんでも「事故米」とする農水省の勝手な認定自体と、高関税との交換条件として外国米は輸入するがそれは国民には食べさせないで隔離するというMA制度自体が、今回の問題の根本にあるのではないか。「良きように処分せよ」として農水省が放出する事故米の価格が実際の品質と比して安すぎるのである。問われるべきは農水省の「モッタイナイ精神」の欠如である。

消費者団体は、ヒステリックに「安全、安全」と叫ぶ前に、こういった根本問題を考えるべきだ。さもないと、この事件を利用して外国米への国民的恐怖心を植えつけようとする農水省の思惑通りの展開となってしまい、国民はますますあいつらにぼられまくることになる。


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「"KY"から"AKY"へ」(日産自動車相談役名誉会長、小枝至)

今晩の日経「あすへの話題」から。新聞の面白いところはコラムにある。このコラムも毎日楽しめるコラムだ。「KY」とはもちろん「空気が読めない」の略。「AKY」とは何か?

小枝氏によれば「あえて空気を読まない」の略らしい。

小枝氏は言う:
  1. 他者に対して共感したり配慮するのは重要であるが、(今の若者は)空気を読んで、摩擦を避け、その場の雰囲気に合わせることを理由にして、現状を肯定し、挑戦することを避けているのではないだろうか。

  2. 現在、われわれを取り巻く環境は大きく変化しており、この変化に対応することが求められている。その場限りの、安易な妥協をしたり、日本固有の特異性を言い立てて壁を作っても世界では通用しなくなっている。

  3. それより、これをチャンスと捉えて日本人・日本企業の強みを生かして勝ち残りたいものである。

近年まれに見る「同感度満点」のコラム。

散人は「KY」という言葉がとても嫌いだ。仲間内の論理で自己満足のぬるま湯に浸かり、気に入らないやつは異端者として排除する。反吐がでそうだ。その仲間内の論理とは、要するにNHKなどの体制側の洗脳マスコミが流した価値観を無批判に受け入れているお仕着せに過ぎないのだ。

日本人は「ガバナビリティー」が高い国民として知られている。「ガバナビリティーが高い国民」とは、つまりお上の意向に沿ってお上の言うことに従順に従う国民と言うこと(「統治しやすい国民」と言うこと)。若者が自分で自分の首を絞めるような「KY」という言葉を流行らしていることは、正直、理解に苦しむ。

そこまでニッポン人は墜ちてしまったのか。変化を主導するべき若い世代から「自己満足的ウヨ発言」を聞く度にユウツになってしまうのである。


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リーマン大暴落「災難にあう時節には災難にあうがよく候」

リーマンブラザーズ破綻で世界の株式市場は大暴落。おまけに円が上がって外債も目減り。「想定内」だと粋がる人もいるけれど、おいらは想定してなかったのでかなり凹んだ。こう言うときは良寛の心境だね。掲題の言葉は良寛のもの。

良寛が文政十二年(1827)の大地震の時、地震で被害にあった人に対して送った手紙がある。曰く:

しかし災難に逢時節には 災難に逢がよく候 
死ぬ時節には 死ぬがよく候 
是はこれ災難をのがるる妙法にて候 かしこ 
           良寛

何事にも無理して力まないのである。これぞ良寛流の自然体。
 
この世界には、どう考えてもお金の量が多すぎた。あまり多すぎたので神様が「物差し」(つまり市場価格)を変えておしまいになったのである。「汝ら今日から貧乏人だよ」というわけ。

もっとも神様は公平というわけではない。タンス預金や郵便局に分散してお金を隠していた連中や制度的な既得権者は(キャッシュフローが保障されているので)無傷。いつもながら神様は不公平だ。

仕方がない、自然体で対応しよう。贅沢はやめて質実剛健で行くのだ。マスコミに踊らされて既得権者をさらに儲けさせるようなお金の使い方は決してしないこと。こうすればあいつらへも損失の「均霑」が行き渡るので、世の中すべて公平と言うことになる。神様もそれを想定されているのであろう。

2008年9月15日月曜日

9/16 Today モース、貝塚を掘る……本邦初の考古学的発掘

明治10年(1877)のこの日、エドワード・モース(Edward Sylvester Morse) は大森駅近くの貝塚を発掘。これは彼がその年6月来日の際、横浜から東京まで乗った汽車の窓から見つけたものだが、この日まで掘る時間がなかった。翌月の10月にかけて、石器、骨角器、獣骨、人骨が、ざっくざっくと掘り出される。日本にも石器時代から人が住んでいたことが確認された。

エドワード・S・モース - Wikipedia: "1877年(明治10年)6月来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝殻が積み重なっているのを見て貝塚であることに気付いた。それが大森貝塚の発見であった。同年10月に東京大学の学生(松浦佐用彦、佐々木忠次郎)等とともにこの貝塚を発掘した。その発掘の成果は、1879年に“Shell Mounds of Omori”の書名で発掘報告書が刊行された。その書の中で、日本列島において石器時代が存在したことを立証するとともに、貝塚から出土した土器に縄目文様が付いていることに注目し、“cord marked pottery”と呼んだ。"
日本の歴史は、古くて立派なのだと、当初、日本人は大喜びした。

でも、モースは、けしからんことに、当時は食人の習慣があったと推定してしまった:

エドワード・S・モース - Wikipedia: "1878年(明治11)6月30日、東京浅草の井生村楼(いぶむらろう)で500人を超える聴衆を集めて“大森村にて発見せし前世界古器物”というテーマで公開講演をした。考古学概要とトムセンの三時代区分法を初めて紹介する一方で、大森貝塚で出土した人骨に傷があったことから、「かつての日本には食人風習が存在した」と主張した。"

失望したニッポンイストたちは強烈に反発した(どうもこういうテーマは北海道のアイヌ研究でもタブーのようだ)。

しかし、余りこういうテーマにナショナリズムを持ち込まない方がいい。ニッポン土着の風習とそれと近代社会との確執を描いた「ひかりごけ」(武田泰淳)は名作:


ひかりごけ (新潮文庫)ひかりごけ (新潮文庫)
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あるがままの事実を見ることから、すべての科学は始まるのである。

サイト内関連記事(武田泰淳)


Google AdSense で遊んだら面白かったことなど

Blogger には簡単に Google AdSense を組み込むことが出来るというが、ゴテゴテしたページになることが嫌だったので今までやってなかった。でもその仕組みが知りたくなり、好奇心からちょっくら導入。結構面白い。

出来るだけレイアウトを壊さないようにしたいので、今まで使っていなかった一番下にあるフッター部分にリンクだけを表示させることにした。

するとちゃんと本文と関連づけた広告リンクが表示された。ページごとに異なる内容で、なかなか頭がいい。ただ具体的にどんな広告なのかは、規約により本人はクリックしてはいけないと言うことになっているので分からない(プレビューソフトはWIN専用)。クリックすると関連した外部広告ページの一覧が表示されるらしいとだけ申しあげておく。

できればエントリー本文の下に関連広告を直接貼り付けたかったのだが、これをやるとトップページの項目ごとにその下にいちいち表示されるので汚いのでやめ(またテンプレートによるのだろうがマージンも合わない)。エントリーのHTMLに直接貼り付けることを試したが JavaScript なので表示されない。

さて、その結果。一日経って統計を見るとクリック数は見事に「ゼロ」。世の中はそれほど甘いものではありません。

サイト内検索窓に AdSense を組み込むことも出来るとのこと。これはまだやってない。かわりにエントリーの本文の下にサイト内関連記事を自前で表示させることにした(Google カスタムサーチエンジンを利用)。このリンク(↓)。これは読む人にとってけっこう便利だと(勝手に)思う。


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9/15 Today 関ヶ原の戦い(1600)……教科書通りの布陣でも勝てなかった西軍

慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)、東軍は徳川家康のもとに7万5千人、西軍は石田三成を中心に12万8千人。西軍の小早川秀秋軍8000人が寝返ったけれど、それにしても西軍の方が人数が多かった。でも結果はご存じの通り。


明治時代になって陸軍士官学校の教官をしていたドイツ人の参謀が、関ヶ原での両軍の布陣図を見て「戦闘の結果は聞かなくてもわかる。これじゃ西軍が勝ったのに決まっている」と言ったらしい。石田三成は秀才だから、ちゃんと教科書通りの布陣をした。

でも、三成は所詮サラリーマン社長。オーナー経営者の家康とは格が違った。期待できる恩賞もサラリーマン社長から貰えるものは、結局たかが知れているし、インセンティブも桁違いだった。

なによりも時代の流れは家康にあった。時流に逆らってはいくら大軍でも勝てない。

現代日本は「一億総サラリーマン化」しているように見える。サラリーマン社会に果敢な挑戦をしたホリエモンは無惨にも刑務所に入ることになったし、学校もテレビも「環境にやさしいスローライフ」とか「仲間が大切」など寝ぼけたことを繰り返しているばかりで、荒々しい世界の潮流から取り残されているように見える。「清く貧しく」もけっこうだが、金持ちになった中国人からシャビーな国と馬鹿にされるようではしゃくに障るではないか。

2008年9月14日日曜日

9/14 Today 水野忠邦、上地令を発す(1843)……でも結局「利権集団」に敗れる

長らく続いた幕府体制のおかげですっかり腐敗非効率化してしまった江戸時代の日本。折から外敵の脅威も伝えられはじめた。財政再建に着手した水野忠邦は果断迅速な改革に取り組む(天保の改革)。その一環としてやったのが上地令。旗本たちの飛び地で点在する私領をまとめて天領と交換するといういわば現在の耕作放置農地の集約化みたいなもの。でも農地を触るのはやばかった。案の定、既得権者から猛烈な反発を受けて水野忠邦は失脚。

水野忠邦の改革(天保の改革)は、いまだにとても評判が悪い。歴史書でも好意的に書かれている例は少ない。とにかく贅沢は禁止したので民は困ったとか、農民の兼業を禁止したりお祭りは無駄遣いだと言って禁止したのはけしからんとか、農民が都市に流入するのを阻止しようとしたのは農民を農地に縛り付けるものだとか、デフレ政策を強引に推し進めて自殺者がどんどん出たとか。悪口ばかり。

でも当時の経済を見てみると、明らかに供給力が不足していたことがわかる。供給力の増強(当時はコメの増産ですね)と需要の削減(贅沢禁止)をやって、余った供給力で外敵に対抗するだけの軍事力を装備する必要があった。また何よりも制度が硬直化してきており既得権者たちの利権で社会が身動きとれなくなっていた。改革は必要であった。

しかし、改革の煮え湯を飲まされ続けた抵抗勢力は上地令を機会についに水野忠邦を孤立化させることに成功する。土地がからむととにかく全員が反対するのがニッポンなのだ。百姓たちは旗本たちについて抵抗勢力となった。水野はあえなく失脚し失意のうちに死に、改革リーダーを失った幕府体制は崩壊へとまっしぐらに進む。

何か「現代日本」を見ているようではないか。

2008年9月13日土曜日

NHKはどうして台風13号の台湾への影響を報道しないのだろう?

台風13号は与那国島という島に接近してたいへんだという。地図で調べてみると、台湾のすぐ近くではないか。台湾の都市は今回の台風で一体どうなっているのだろうか、知りたいところであるが、NHKは全く報道しない。

NHKは、台風が「日本以外」に行ってしまうと大万歳とばかり全く無視する。お気の毒とも言わない。米国マスコミがハリケーンのカリブ諸国への被害状況を克明に報道するのと比べ、大きな違いだ。

普通の日本国民にとっては、経済関係がこれほどまでに緊密になっている台湾の状況の方がよほど心配であるはずだが、NHKは「ニッポン」以外には全く関心がないらしい。海外の大災害でも日本人の犠牲者があったかどうかが最優先事項だ。人の命に軽重はないだろう。完全にずれているとしか言いようがないが、NHKの体質を見事にあらわしている。


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9/13 Today モンテーニュ没 (1593)…西洋版『菜根譚』を書いた人

ミシェル・ド・モンテーニュ - Wikipedia: "ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne [miʃɛl ekɛm də mɔ̃tɛɲ], 1533年2月28日 - 1592年9月13日)は16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。モラリスト、懐疑論者、人文主義者として知られる。現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著『エセー』は、フランスのみならず、各国に影響を与えた。"




彼はこの書物は自分の家族のために書いたとしているように、父親から子供に引き継ぐ人生の知恵といった性格が強い。処世訓がいっぱい書いてあるのだ。敢えて白黒の判別をせず、結論を出していない問題も多い。人生というのは割り切れるものではないからである。

そういった処世訓的なところが「PC(ポリティカリー・コレクト)」な人にとっては狡賢いと見えるようで、今時のインテリにはあまり人気のない本である。中国に『菜根譚』という本があるが、あれと同じようにある程度歳をとってから読むと大いに納得する部分が多い本なのだ。

歴史の勉強にもなる。アレキサンダー大王がガザに攻め込んでどんな残虐無道のことをやったのかも、いきなり最初の章で書いてある。それも尊敬の念を込めて。モンテーニュにとっては、すべての事柄は善悪とは関係のないものであり、彼の関心は、すべての出来事の、その結果に至る過程から、世の中の教訓を引き出すことにあったからだ。

この意味において、プラグマティズムの権化の人(つまり人間そのもの)とも言えるかも知れない。極悪非道の暴力も専制君主もなんでありの人間世界は、そこで生き続けなければいけない以上、我々はそれをあるがままに理解し、そこから現実的な解を見つけ出すべきなのである。

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2008年9月12日金曜日

NHK地域発!どうする日本 「物価高騰 地域はどう立ち向かうのか」……NHKはイナカの味方か!

毎度のことながら、見ながら限りなく憂鬱になってしまった番組。NHKは金子勝などの扇動インテリを前面に立て、これでもかこれでもかと裕福なイナカ住民の利益を代弁する。そのコストを払うのは、都市貧民なのだ。
地域発!どうする日本 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]: "地域発!どうする日本「物価高騰 地域はどう立ち向かうのか」
▽今回のテーマは物価高騰。暮らしにのしかかる食料品やガソリンなど原材料の値上げ。地域の産業や消費者は如何にして乗り切ろうとしているのか。各地の取り組みを伝える。
堀ちえみ,金子勝,大江正章,【司会】松本和也"
一応都市部の実情もレポートされていた。紹介された都市部の年金生活者の暮らしは「悲惨」のひと言。年金は例の「マクロ調整クローズ」で目減りしてゆくし、福祉の負担は増えるし、その上に食料品の大幅値上げだ。月10万円で生活するお年寄りは、毎日できるだけ家に居らないようにして、公民館や図書館で時間を潰し冷房の電気代を節約しているという。もちろん高い国産農産物は買えない。

一方、ガソリン代が上がってたいへんだたいへんだと叫ぶ福井県の農家では、一家に五台も自動車を保有し、ガソリン代が月に10万円もかかるようになったと不平を言っている。相乗りなんかは出来ないのかとの質問に対しては「家族の通勤時間帯が違うから出来ません」のひと言。イナカでも会社は朝の9時からが普通だろう。娘の一人は歩きの通勤も一応考えたが「坂道が多く片道30分も歩くのはたいへん」という。開いた口がふさがらないとはこのこと。

青森県の大間ではマグロ漁船が燃料費の高騰で「このままでは廃業だ、それでも良いのか!」と脅しをかけている。大間の天然マグロは天文学的な値段(年間で数本釣れれば採算が取れるという)。味は冷凍物と変わらないし、大間マグロを有り難がって食べるのはこんなことでしか見栄を張れない成金ぐらいなものだ。廃業されても一向に構わないと思う。

乳価が上がらないので北海道の酪農家がたいへんだという。でも彼らの年間所得は数千万円を超えているのではないのか。もともと高額所得者だ。

NHKは今に外国からは食糧は入ってこなくなると危機感を煽り、ニッポンの農村がつぶれてもいいのかと脅し、強引に財政や価格上昇を通じて更なる都市から農村への所得移転の必要性を訴える。あんたたちは本当には国民の味方なのか?

地方へのバラマキ政策のおかげで日本国民はどんどん貧しくなっている。都市住民の生活は自己防衛するしかない。つまり:
  1. 脂でベトベトした国産ブランド霜降り牛肉は食べないこと。

  2. 真冬にじゃぶじゃぶ石油を使って温室栽培されたミニトマトなんか食べないこと。

  3. バカ高いブランド米なぞは食べないこと。

  4. 大間の天然マグロなぞは食べないこと。一個10万円のメロンやマンゴーなぞは食わないこと。

  5. そもそも食い物を食べ過ぎるとメタボになるので出来るだけ食わないこと。「質実剛健」をモットーに、食べるなら出来るだけ安くてまっとうな輸入食品を食べること。食い物に見栄を張る人間はカッコワルイのである。

NHKなどに振り回されていると、あなたの老後は悲惨。高い国産食い物にボラレまくって、イナカへの所得移転に貢献し、その結果、あなたの老後は野垂れ死にだ。


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9/12 Today マラトンの戦い (BC489)……奇しくも小泉自民大勝利の日(2005)

ギリシャ征服を目指してペルシャ王ダリウスは大軍を率いてギリシャのマラトンに上陸。迎え撃ったのは約一万のギリシャ重装歩兵(ファランクス)。絶対優勢を自負していたペルシャ軍はギリシャ軍の果敢な攻撃に前に大敗。勝敗の結果を伝えるためにマラトンからアテネのパンテノンまで42キロを駆け抜けた兵士ペイディピアデスは「われ勝てり」と叫んで息絶えた。これがマラソン競技の起源。

このマラトンの戦いの日に、小泉自民党も「われ勝てり」と言うことになった(2005年の郵政民営化選挙)。ご同慶の至りであったが、なんのための勝利かということが重要。戦争だったら勝ってしまえばそれで終わりだが、選挙は兵隊数の決定にしか過ぎない。増えた兵隊を使って、弱った敵を徹底的にやっつける本当の戦争目的を貫徹すべきであった。しかしご存じの通り、小泉改革は中途半端に終わり、続く安倍、福田には全くやる気がなく、大っぴらなサボタージュが続いた。小泉純一郎は、マラトンの戦いでの兵士ペイディピアデスのように、「われ勝てり」と叫んで息絶えてしまったのであった。

閑話休題。オリンピックのマラソン距離は 42,195 M と決められている。なんでこんな端数がついているのかというのが本題。

散人はずっとマラトンの野からパンテノンまでの距離を正確に計測した結果だと思っていた。でもそうではなかったようだ。

つまり最初のうちのオリンピックでは、コースの距離は40km前後であればよく、一定していなかった。1908年第4回ロンドン・オリンピックで、マラソンコースをウィンザー宮殿からシェファード・ブッシュ競技場まで42キロメートルと決めたのだが、あとで女王様が座る座席の前にゴールラインを置くのがいいとかの議論があり、ゴールラインをいじくったらしい。それで端数がでてしまった。

ところが1924年の第8回パリ・オリンピックから、マラソン競技の距離はすべての大会で厳密に同じであるべきだと誰かが言い出して、第8回パリ・オリンピック開催に先立ち、基準としてこのロンドン大会のコースを正確に計測した。それが42.195キロだった。以来公平を期すために、この中途半端な距離で競技を実施することに決まったとのこと。理屈っぽいフランス人のやりそうな事である。

2008年9月11日木曜日

「"マーベリック"をホワイトハウスに!」(ペイリン共和党副大統領候補)

今晩のNHKで報じられていた発言だが、これは名言だと思うので収録。選挙はケンカ。知力と腕力の強い方が勝つ。共和党のブレインはやっぱりすごい。

マケインは「改革」を先取りしてしまった。「改革」がバッドワードとなってしまったニッポンとは違って、米国では、改革なしには将来はない、とみんなが信じている(そうだね、ブッシュ君があれだけめちゃめちゃにしてしまったから)。オバマはとても頭がよいが、やっぱりバラマキをやるだろう、と見られてしまう。アメリカの納税者はバラマキが一番きらい。おまけにだめ押しが「豚に口紅」発言。これはまるで「PC」でない以上に、「タッチ・オブ・クラス」が決定的に欠ける(下品だということの上品な表現ね)。これは後々まで尾を引くと思う。

本題の「マーベリック」とは何か。字引:
maverick - Definitions from Dictionary.com: "American Heritage Dictionary -
An unbranded range animal, especially a calf that has become separated from its mother, traditionally considered the property of the first person who brands it.
One that refuses to abide by the dictates of or resists adherence to a group; a dissenter.

adj. Being independent in thought and action or exhibiting such independence: maverick politicians; a maverick decision."
映画「トップガン」でトム・クルーズ演じる空軍パイロット(コード名マーベリック)だと思えばいい。アメリカの永遠のヒーロー・イメージだ。でも、ニッポンでは「空気が読めない」として村八分にあう運命のキャラ。戦争になればどっちが勝つか? 「トップガン」を見ればわかる。

山中湖バス釣り:11日 今日は - center-fieldの日記

なんか相当厳しい状況みたい:
11日 今日は - center-fieldの日記: "現在の山中湖はバスはかなり広範囲に散らばっていて、1匹釣るのもかなり難しい状況です"
バス釣りについての考え方を変えなければならないようだ。釣れなくて当たり前なのだ。絶滅寸前の幻の巨大魚ブラックバスを山中湖で追いかけることを老後の生き甲斐にしよう。

テレビの釣り番組を見ていると、一日がかりで一匹も釣れないという番組によく遭遇する。なんであんなので面白いのかと海釣りを馬鹿にしていたが、彼らによるとこれこそ釣りの醍醐味なのだそうだ。山中湖もその「醍醐味」が味わえるようになっているようだ。